「ああ、、なんで評価されないんだろう。がんばってんのに、、くそ~」
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「なんで誰も褒めてくれないんだろう。他の人達に比べて、私の方がずっとできるのに、、」
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「みんなのためにやってるのに、誰からも何も反応がない。ツラいなぁ、、俺はお前らのためにやってんだぞ!!」
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どうも、もきちです。こんなこと思った場面、誰でも一度くらいはあるでしょう。僕は数百回くらいあるかも(笑)、今はほとんど無くなりましたが。
これって、いわゆる承認欲求ってやつですよね。
(画像引用元:「モチベーションアップの法則」マズローの欲求5段階説)
僕は、ある団体に所属してました。そこの集会所に良く出入りしてたんですけど、ゴミがゴミ箱にあふれててもそのまま・机の上も散らかってる、みたいなことが結構あったんですよね。自分のいる空間が汚かったり散らかっているのは嫌だし、整理するのは結構好きなので、掃除をします。
初めのうちは良かったんですけど、気づいたらなんかイライラするようになってたんですよね。せっかく綺麗にしたのに、目の前ですぐゴミを散らかされるのを見て、「またペットボトルほったらかしにしてる~、自分の物管理できねえのかよ。」みたいに。
掃除したことに対して、ありがとうと言ってくれる人も稀にいました。その時は嬉しかったです。でも、何かが足りない気がしていた。もっと感謝コメントくれ~とか思ってたっけ。
さらにもっと良くないことに、掃除をしてるという事実を、それとはまったく関係のない場面でドヤる根拠として使ってたんですよね。「俺は掃除してるし、エラいぜ」的な。
僕の間違い
また、いいことをする人の感謝されたい度が低めだとしましょう。10回やって1回でも感謝されたら儲けものだと考えると、この方法の妥当性がよくわかります。
野球を例にしましょう。打率2割バッターがここにいます。バットを振っても8割は空振りです。
10回バットを振れるとした時、10回とも空振りする確率は、
(0.8)^10 ≒ 0.1073
ここから、少なくとも一回ボールに当たる確率は、
1 ー 0.1073 = 0.8927 ≒ 0.9
となります。つまり、どんなにヘタでも10回中1回くらいは当たるんですよ!失敗してもいいから、打席に立ちまくって何回もふり続けることが大事。
ていうか、他人に「それ何のためにやってるの?」と聞かれた時に、「面白いから」「好きだから」「趣味で」って言えるのが一番かっこいいと思うんですよね。
自分のことを認めてあげられる、そんな自分大好きな人が好きですね~。もちろん、僕は自分大好きマンですよ(笑) だから、ミスター慶應にも応募できた。
結局、行動を起こさない限りなんの反応ももらえないんです。反応が欲しいなら、なんかやんないと。そうして自分で考えて行動したなら、それが自分を認めてあげられる根拠の一つになるわけです。やったね!
僕はこれからも、あそこの掃除は続けようと思います。まあ、気が向いたらやるくらいの趣味ですな。
読んでくれてあざます!では!
………………
「なんで誰も褒めてくれないんだろう。他の人達に比べて、私の方がずっとできるのに、、」
………………
「みんなのためにやってるのに、誰からも何も反応がない。ツラいなぁ、、俺はお前らのためにやってんだぞ!!」
………………
どうも、もきちです。こんなこと思った場面、誰でも一度くらいはあるでしょう。僕は数百回くらいあるかも(笑)、今はほとんど無くなりましたが。
これって、いわゆる承認欲求ってやつですよね。
承認欲求とは
文字通り、「他者や社会に認められたい・理解されたい」という気持ちのことです。アメリカの心理学者マズローの唱えた「欲求5段階説」の中で言う、尊厳欲求にあたるものですね。(画像引用元:「モチベーションアップの法則」マズローの欲求5段階説)
僕の話
ここからは、僕が承認欲求を感じた場面とそこで気づいたことを話します。僕は、ある団体に所属してました。そこの集会所に良く出入りしてたんですけど、ゴミがゴミ箱にあふれててもそのまま・机の上も散らかってる、みたいなことが結構あったんですよね。自分のいる空間が汚かったり散らかっているのは嫌だし、整理するのは結構好きなので、掃除をします。
初めのうちは良かったんですけど、気づいたらなんかイライラするようになってたんですよね。せっかく綺麗にしたのに、目の前ですぐゴミを散らかされるのを見て、「またペットボトルほったらかしにしてる~、自分の物管理できねえのかよ。」みたいに。
今はマシになった気がするけど笑
— もきち(サイトウシゲユキ) (@ss_mkc) 2017年4月26日
昔は、その集団において、他の人がやってない仕事を探してやることで、
自分の価値を見出して、それを認めてもらおうとしてたな
でも、他人は認めてくれない。感謝をあえて言葉にはしない。
掃除したことに対して、ありがとうと言ってくれる人も稀にいました。その時は嬉しかったです。でも、何かが足りない気がしていた。もっと感謝コメントくれ~とか思ってたっけ。
さらにもっと良くないことに、掃除をしてるという事実を、それとはまったく関係のない場面でドヤる根拠として使ってたんですよね。「俺は掃除してるし、エラいぜ」的な。
なんか違くね??
しばらく経ってそう思いました。だって、自分がやりたくて始めたんやもん。他人のためじゃないもん、誰からも頼まれてないしね。いつの間にか、自分で作った仕事があまり評価されないことに対してイライラしてたんですよね。それは当たり前なんすよね、そこを期待してイライラしてたところはあった。
— もきち(サイトウシゲユキ) (@ss_mkc) 2017年4月26日
だから、みんなのためにって思いが少しでも顔をもたげた時、
「本当にお前がやりたいのはそれなん?その先に本当の目的があるんじゃね?」って自分に聞くことにしてる。
僕の間違い
他人はお前のオカンじゃない
これ、タイトルにありましたね(笑)いいことをしたって、褒めてもらえるとは限らない。昔の僕は、褒めてもらえることを当たり前だと捉えていましたね。他人はお前のオカンじゃない。というか、オカンでも褒めてくれないことあります。評価は他人次第
さっきのともちょっとかぶるんですけど、”評価”は他人が下すもの。だから、評価されるように努力することはできるけど、最後は他人次第。自分ではどうにもならないことを、どうにかしてほしいとイライラしていたんですよね。でもやっぱり多少は承認されたい
って気持ちはあります。だから、そんなときにどうするか自分なりに考えてみました。ひたすらトライする
自分を失わない範囲で、他人や集団のためになりそうなことを片っ端からやっていきます。評価されないこともあるでしょう、避難されるかもしれない。いいという人もいれば、ダメという人もいる。そりゃあ人によって「ありがとうのツボ」は違います。ひたすらトライ戦法は、この「ツボ」を探すのに使えます。また、いいことをする人の感謝されたい度が低めだとしましょう。10回やって1回でも感謝されたら儲けものだと考えると、この方法の妥当性がよくわかります。
野球を例にしましょう。打率2割バッターがここにいます。バットを振っても8割は空振りです。
10回バットを振れるとした時、10回とも空振りする確率は、
(0.8)^10 ≒ 0.1073
ここから、少なくとも一回ボールに当たる確率は、
1 ー 0.1073 = 0.8927 ≒ 0.9
となります。つまり、どんなにヘタでも10回中1回くらいは当たるんですよ!失敗してもいいから、打席に立ちまくって何回もふり続けることが大事。
敢えて人が見ている前で堂々といいことをやる
嫌みに思われるとか考えず、あからさまなくらい堂々と、いい事をやっちゃいます(笑)。ここで僕が大事にしてるのは、あくまで「趣味」としてやってるっていうのを自分の中ではっきりさせて、時折確認するということです。じゃないと、さっきの掃除の話みたいになんのためにやってるのか分からなくなるので(笑)ていうか、他人に「それ何のためにやってるの?」と聞かれた時に、「面白いから」「好きだから」「趣味で」って言えるのが一番かっこいいと思うんですよね。
まとめ:自分がやりたくて、周りにも良いことをバンバンやるといい
他者による承認欲求との折り合いのつけ方について話してきましたが、もっと大事なのは、自分で自分を褒めてあげられるかどうかってことだと思います。僕自身、自分を認められるようになるにつれて他人のことも認められるようになってる気がします。最近、「あ、コイツかっこいいな」と思うことが増えました。自分のことを認めてあげられる、そんな自分大好きな人が好きですね~。もちろん、僕は自分大好きマンですよ(笑) だから、ミスター慶應にも応募できた。
結局、行動を起こさない限りなんの反応ももらえないんです。反応が欲しいなら、なんかやんないと。そうして自分で考えて行動したなら、それが自分を認めてあげられる根拠の一つになるわけです。やったね!
僕はこれからも、あそこの掃除は続けようと思います。まあ、気が向いたらやるくらいの趣味ですな。
読んでくれてあざます!では!